芙美子は29歳で、夏には苦瓜を食べる。週に四日働き、猫を二匹飼っている。妹が一人いるが、恋人はいない。ダイビングが趣味で、先の連休に妹と隣県の海へ出かけた。暖流がぶつかるそのスポットは雑誌に取り上げられるほど有名で、久しぶりのダイビングと初めて潜る海を芙美子は楽しみにしていたのだが、折からの異常な気象は潮流にも影響しているようで、あるいは異常な潮流が空梅雨を生んだのか、なにしろ魚は一匹も見あたらなかった。暖流の逸れた海は冷たく、それでも潜る芙美子の背中の上方に、光るものを妹は認めた。それは釣り針であった。妹は注意を促そうとしたが、芙美子に合図を送る間もなく釣り針は芙美子のウエットスーツ、肩の当たりに引っかかった。すぐに、芙美子と妹は針をはずそうとしたのが、なかなかうまくいかず、その間、釣り糸は芙美子をたぐり寄せ、あるいは、力を緩めて休息し、あるいは、強く引き、戦いを挑んだ。
 陸に上がった芙美子と妹は、それらしい釣り人を確認した。さえない中年男が一人、ぼんやりと海に向かっているだけであった。