月曜日から降り続いた雨があがって日曜日は良く晴れるという天気予報を聞いたからだろうか、朝5時に目が覚めた。そのままお布団の中でCDを一枚聞いたあと犬のリキに挨拶をして、シーツを洗った。洗濯物を乾かすために太陽を始めから使うことが出来るというのは良い一日の先触れだ。滝本君の貸してくれた水村美苗本格小説を読んだり軽く二度寝などをしているうちに10時半になったので、横川君に電話して12時から出かけるから家までくるように命令した。横川君が来るまでの1時間半の間に家の一階と二階を掃除した。
 12時5分前に横川君が来たので、トリッペンの靴を履いて出かけた。第一の目的地は石山寺で、瀬田川沿いに行くことにした。若い夫婦が歩き始めたばかりの子供と散歩していたり、大学のボート部が春早々の練習をしていたり、良い日曜日の風景を通り抜けて唐橋を渡った。台湾の家の前を過ぎて京阪電車の線路沿いを歩いて、石山寺に着いた。
 石山寺ではまず、通り抜けの岩をきっちり通り抜けてから本堂を攻めた。本堂に至る途中にあるいくつかのお堂もきっちりと攻撃した。本堂に近づくにつれ低く流れる歌声のようなものが耳につき、本堂に入ってはっきりしたのはそれがお台目であってお坊さんがおつとめをしている最中であることだった。縁に出ると、台目と人の話し声が耳に留まるのだけれども、前に広がる杉は音のない世界に立っていた。本堂から瀬田川と琵琶湖を見渡せる場所に出て、薄靄のかかる風景を認めた。梅園と桜園を過ぎて無憂園なる所に行き、憂いをはらした。大黒堂でおみくじを引いたら大吉だった。これで石山寺は攻略したことにして、寺前の無愛想な店員のいる店で蜆飯とおうどんを食べて石山寺を後にした。
 次の目的地の三井寺を目指し、旧東海道を歩いた。旧東海道沿いには寺院が多く、100mおきに寺や社をみた。印象的だったのはそのうちの一つの寺に立つ優に20mを越すであろう辛夷の木だ。遠くからその姿を認めたので寺に入ってゆき、木を見上げた。その間、風はそよぎもせず人声も立たず、まったくの無音だった。鳥の声がしたのを引き際に辛夷の木を後にして寺の門を出ると、たむろしていた鳩が飛び立った。
 疎水を下って三井寺の山門をくぐって階段を上がると、金堂が姿を現す。金堂の屋根は空に向かって広がっていた。金堂に納められてる仏像を眺めて、一番気に入った地蔵菩薩像に5円のお供えをしていると、晩鐘が響いた。金堂を出て三井寺に飼われている孔雀を脅し、微妙寺に参ってから観音堂に登った。観音堂から夕暮れの琵琶湖を見た。帰る前にもう一度金堂の屋根をみたいと思い、金堂に戻って階段を下りながら振り返ると、夕もやの逆光の中に金堂の屋根が黒く印され、私と金堂の間には桜が紗のように咲いていた。
 その後オーパ横の信天翁で焼き鳥を食べ(当然お酒も呑み)、大津駅からJRに乗って家に戻った。焼酎を呑みながら横川君と一日を反芻をした。
 歩いた距離は約15kmだった。桜は7分咲きだった。ヤナギの芽は吹いていた。心の中ではジョアンがEu Vim Da Bahiaを歌い続けていた。彼の歌が聞こえなかったのは、石山寺の縁に出たときと辛夷の木を見上げているときと三井寺の金堂の屋根を見ているときだけだった。